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桜を背負った男たち - バックナンバー

第10回 藤原優氏インタビュー 掲載日:2005/01/27
「桜を背負った男たち」の連載を始めてから、今回で10回目となり、お付き合い頂いている、読者の皆さんには心より感謝したい。

さて、これまでは、私より年上の方々ばかりだったが、今回の藤原 優さんからいよいよ、年下の年代になる。
とは言っても、読者の皆さんには、あまりなじみのない方もおられると思うが、これまで登場いただいた方々は、当時、ラグビー界で一世風靡した方々ばかりであり、今回の、藤原優さんもその一人である。

藤原さんは「アニマル藤原」と言われるくらいに動物的な動きと、華麗なるプレーで、数多くのファンを魅了した。

日川高校時代から、日本代表候補合宿に参加し、当時史上最年少で1973年の英仏遠征に参加した選手だ。いわゆるラグビー界のスパースターというべき存在だった。
彼は、早稲田の1年後輩になるが、もちろん1年生からレギュラーの座を獲得し、自他ともに認めるエースであった。
私が、2年生でレギュラーを獲得する事に必死になっていた頃、下級生である藤原さんとは、なぜか意気投合し仲良くしていた事を思い出す。
彼は、人をひきつける独特の雰囲気を持っていた。特に女性に対しては、私とは異なる鋭い嗅覚を持ち、常に彼の周りには女性の姿があった。
スター選手であった彼には当然の事だったのだろう。もちろん説明するまでもなく、グランドでの彼のプレーは、多くのファンを魅了していた。
ただ、あの俊足だけに、肉離れには相当悩まされていたようで、コンディションを維持するには、苦労も多かったと思う。

忘れもしない1975年1月15日日本選手権試合での出来事。
これまで紹介させて頂いた近鉄黄金時代の小笠原、坂田、今里選手との試合。ラグビー史に残るであろう伝説の名勝負であり、当時、主将を務めた私にとっても、最も思い出に残る試合である。

前半は、6対6のまま後半に入る。後半13分過ぎに早稲田が近鉄を揺さぶりフルバック植山から、藤原に絶妙のパスが渡る、藤原は対面の坂田を振り切ったところで、ノーマーク。ゴールラインへ直進し、そのままトライすると誰もが確信した、その時、突然、顔面を引きつらせ、グランドに倒れこんだ。
最も大事な場面で起こってしまった、持病である肉離れ、彼にとっては「何でこんな時に」と思ったはずである。
「坂田に追いつけ、追い越せ」をモットーにやってきた、坂田現役最後の試合で、それを実現しようとした試合での出来事である。藤原さんは、それでも立ち上がり戦列に復帰したが、10分後には激痛に耐え切れず退場した。

逆転のチャンスとエースを失った早稲田は、ずるずると近鉄に突き放される事になった。私はトライを取られた後のゴールポスト下で泣いている選手達を励まし続けた。
成人式を、この国立競技場で迎えた2年生は何と幸せな事だろう。
終わって見れば33対13。藤原君自身にとっては、最も忘れられない試合であると思う。

彼は卒業後、多くの企業から声がかかり悩んだ事だと思うが、企業のラグビーチームには入らずに、英国に渡りロンドン郊外にある名門クラブ「ハリクインズ」でプレーを続けた。帰国後は丸紅に就職し、現在では、独立してバリバリと仕事をしていると聞いている。やはり「アニマル藤原」の異名は今でも生き続けているのであろう。

● 藤原優 プロフィール
山梨県出身
日本代表キャップ 22
1953年7月22日生まれ


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