上田昭夫さんは、私にとって、大学時代からの良きライバルであり、同級生の中でも数少ない大切な友人です。
今回は、ざっくばらんに彼との関係や、思い出を書きたいと思いますので、いつもとは違ったトーンになると思いますが、ご容赦ください。
上田昭夫さんの経歴は、多くを語る必要はないと思いますが、フジテレビの元ニュースキャスターとしてご存知の方も多いと思います。
また、監督として、1986年の日本選手権、上田マジックと称される、優れた組織掌握術、斬新アイデアとグランドでの熱血指導で、慶応大学が初の日本一の栄冠を手にした指導者としても、多くの方の記憶に残っていると思います。
上田さんとの出会いは、私が早稲田、上田さんが慶應での試合だったと思います。
お互い、4年生で主将になり、良きライバルとして戦い、以来、私にとって心を許せる友人である事は間違いありません。
上田さんとの思い出は、数多くあります。私は大学4年生で、日本代表になり、卒業後は、伊勢丹へ就職するか、それともラグビーを続ける為にリコーにいくか、悩み、初めてのニュージーランド遠征での結果、社会人でもラグビーを続けるという決断をした時期がありました。
逆に、上田さんは、当時、大学卒業生の人気ナンバーワン企業であった、東京海上に入社し、きっぱりとラグビーから身を引き、ビジネスマンとして生きていくという、さすが、上田さんらしい決断に感心したものです。
ところが、半年も経つ頃、突然の連絡が入り、「トヨタでラグビーを続ける。」という内容のものでした。それも、東京海上を辞めてまで。
私は、驚きながらも、”やはり”というのが、当時の私の率直な思いでした。
というのも、日本代表として選手を続けていくには、ある程度の強豪チームに所属しトレーニング、試合をしていかなければ、日本代表としての地位を保てないという思いだったと思います。もちろん、私は間違いのない判断であり、激励した事を覚えています。(恐らく、上田さんの記憶にないかもしれませんが....)
その後は、トヨタで大活躍されて、日本代表として一緒にプレーをしました。
また、私がリコーでの英国赴任中、慶應ラグビー部の英国遠征の際、監督であった上田さんをヒースロー空港で出迎え、遠征中に色々とお手伝いをさせてもらった事もあり、オックスフォード大学、ケンブリッジ大学との試合では、私も慶應のネクタイをして応援したりと、今でも良い思い出となっています。
慶應の監督のあと、上田さんはフジテレビに入り、スーパータイムでは、安藤優子さんとニュースキャスターを務め、一躍ラグビー界のスターとして、ラグビーの良いイメージを、世間に広めるきっかけを作ってくれました。
上田さんの活躍はそれだけにとどまらず、慶應大学ラグビー部創設100周年に向けたチームの建て直しに参画。見事、大学選手権を勝ち取りました。
最近まで、ユース強化担当の責任者として、ユースレベルを世界と戦えるまでに、先頭に立って指揮をされるといった、素晴らしい指導者としての手腕も健在です。
現在も、日本協会主催試合では、元キャスターの経験から、滑らかな舌で観戦にこられたファンの皆さんを楽しませてくれています。
私との付き合いも、30年以上になり、楽しくお付き合いさせてもらっています。
ここ2年近くは、私が日本協会に入ったことから、よく連絡を取り合うようになり、食事を一緒にする事も多く、私の大食いぶりがバレてしまいました。でも、楽しく沢山食べる事は良い事です。そんな、他愛無いことも、上田さんの「ひとりごと」で紹介してもらったりしています。内容に間違いはないのですが、私の事なのに、本人が読んでいて笑える様な、独特な語り口は、私自身も気に入っています。
その他「ひとりごと」の中では、私の愚痴なんかも紹介されている事がありますが、それは事実で「愚痴のひとつや二つあっても良いよ」と聞いてくれています。
それから、私は、3年前から慶應大学ラグビーの若い選手の夏合宿を指導させて頂いていますが、この機会を作ってくれたのも彼でした。
このことについては、最初、早稲田、慶應、明治...等々、大学間の垣根みたいな事を気にしていましたが、今では全く感じません。私の中では、そういった出身大学の、しがらみみたいなものに関係なく、指導する事が一番だと思っています。
だって、皆、ラグビーが好きで、強くなりたいという欲求には関係のないことですから、指導を頼まれれば、どこであろうと断る事は出来ません。
それでよいと思います。こんな気持ちになれたのも、上田さんのおかげです。感謝!
| ● 上田昭夫 プロフィール |
東京都出身
日本代表キャップ 6 |
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1952年10月21日生まれ
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