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桜を背負った男たち - バックナンバー

第5回 井沢義明氏インタビュー 掲載日:2004/11/05
私が、久我山高校の3年生からラグビーを始めた事は、前に書いたと思うが、大学1年生の私には、選手のことや大学の事など、知らない事ばかりだった。

早稲田に入って4ヶ月間は、ウイングのポジションだったが、春シーズン(?6月)の終り、コーチとの面談で、「石塚はウイングとして、大学ではまったく通用しないからフランカーに転向したらどうか」と言うアドバイスがあり、自分はどこのポジションが適しているのかさえ分からず、考えもせずに「はい、分かりました」と、二つ返事でフランカーへ転向した。今思えば、ラグビー人生の転機だったのかもしれない。

大学は、7月中は試験などでラグビー部の練習は休みになり、私は、8月からはじまる、菅平での夏合宿に備えて、フランカーというポジションの自主トレーニングに励んだ。上級生から「地獄の合宿だぞ。」と驚かされていた、不安一杯のまま、菅平へと上った。
この夏合宿こそが、「井沢義明」さんとの出会いであり、とても印象深く記憶に残っている。

当時の早稲田で、必ず行なわれていたのが、現役選手対OBの試合であり、その試合で対面だったのが、井沢さん、その人である。思い起こせば、日本代表である井沢さんの事はほとんど知らず、というよりも夏合宿から与えられたポジションをこなせるかどうか、自分の事で精一杯であり、プレッシャーを感じる暇も無かった。
そんな日本代表である井沢さんを相手に、がむしゃらに闘志をぶつけていった。無知というものは恐ろしい物である。

そんな、出会いがあった3年後、同じ日本代表選手として、一緒にプレーできるとは、夢にも思っていなかった。
井沢さんは6番、私は7番の背番号をつけていた。

ずっと後になって、実は井沢さんも私と同じように大学に入ってからウイングからフランカーに、ポジションを転向したという話を聞いた時、不思議な縁を感じた。
その後、日本代表の合宿や遠征先でのホテルでは、決まって同じ部屋で、私は「チビ」と呼ばれ、本当に世話になった。
井沢さんの当時の印象は、とにかく“まめ”な方で、部屋の掃除から、練習着、下着の洗濯、洗濯が終われば、きれいに風呂場に干してあった。
「自分の事は、自分でやる」という、当たり前の事だが(体育会系の学生は下級生がやる?)そんな、自主的なところを学んだように思う。

フランカーとしての井沢さんのプレーは、決して派手さはないものの、とにかく忠実で、玄人好みのするプレーだった。いわゆる職人である。
私自身、プレーの事はもとより、ラグビーに対する姿勢を学ばせて頂いた。現在では、色々なポジションをこなせる事が、ひとつのセレクションポイントになっているようだが、当時の私は、とにかく、フランカー7番にしか出来ないプレイを忠実にこなす、職人になりたかった。
もっとも、体系的に、そのポジションしかできなかった事もあるが...。

私は早稲田、日本代表を通じて「7番」以外のポジションは、やった事がない。そんな職人かたぎのプレーヤーが、もっといても良いのではないかと感じている。

「日本代表として、日本一上手い7番のポジションは、石塚」
それが自分の役割を、そして、責任を果す事になると考えてプレーしていたような気がする。
日本代表に選ばれて、井沢さんと一緒に生活や練習ができた事は、私にとって最高の、お手本であったし、誇りでもある。

「井沢義明さんインタビュー」 <代表選手時代の思い出>

「代表選手時代の遠征中、とにかく練習をした。練習をしないと不安で仕方が無く、遠征中組まれている練習メニューでは足りず、一人黙々と走り込みをした。」
いわれてみると、1974年の春、私が、はじめて代表として遠征したニュージーランドでも、井沢さんと同部屋で、朝は、他の選手より早く起きて、二人でよく散歩に出かけた。
また、試合に出ない時も、ホテル周辺を黙々と走り込んでいた。とにかく、井沢さんは、時間があれば練習をしていた印象がある。

井沢さんには、そんな当時の事を語って頂いた。
  「試合で体が疲れていることは分かっているが、試合に出ないから、練習をしないと不安でたまらなくなるんだ。」
  「試合の前日、チームの練習を休みにして、国際試合を見に行った。翌日は体が軽く、いつも以上に走れた。」
ラグビー一筋の、井沢さんらしい話である。
一世代前の代表選手たちの多くは、皆そうであった様に思う。
常にラグビーの事を考え、体を鍛え、生活のすべてをラグビーに注ぎ込む職人達である。

「当時は、トレーナーなど帯同する事は一切無い時代でした。なので、自分のコンディションは、自分自身で管理しなければならないという不安が、そうさせたのだろう。それがかえって今の時代と違いよかったのかもしれない。」

これからの選手達へのメッセージとして、「とにかく、体格の違う外国人に対しては、ボールをもっと早く動かし、つないでいくラグビーを目指すべきだろう」
そして、「温故知新ではないが古い時代の練習方法で素晴らしい練習が多くある、決して合理的ではないがそんな練習を見直すことが必要だと思う。」

この話を聞いて、たとえ地味な反復練習であっても、小さい選手が大きな選手と対等に戦う為には、欠かせない事であるし、世界に通用する強い体は、そういう練習の積み重ねで作られると思う。

● 井沢義明 プロフィール
北海道出身
日本代表キャップ 23
1947年5月27日生まれ


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