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JRFUメンバーズクラブ会報誌「JAPAN ! JAPAN !」第91&92号

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「ハーフタイム」~村上晃一の会報誌こぼれ話~

今回は合併号(No.91&No.92)ということで、通常号よりページを増やし、ジャパンラグビー トップリーグ特集となった。2003年の発足から18年の歴史を振り返り、名選手たちに話を聞いた。筆者もトップリーグは開幕からずっと見ているので、いろんなことを思い出した。今季限りで現役を引退した五郎丸歩さんは、トップリーグ発足時は17歳だった。早稲田大学時代の2006年には、日本選手権でトップリーグのトヨタ自動車ヴェルブリッツを破る快挙を成し遂げている。大方の予想を覆した勝利が「2015年のラグビーワールドカップで日本代表が南アフリカ代表に勝ったときの原点だった」と話してくれた。

その早稲田大学を次の試合で下したのが冨岡鉄平キャプテンの東芝ブレイブルーパスだ。冨岡さんは今号では三洋電機ワイルドナイツのキャプテンだった霜村誠一さんとの対談に登場してくれた。冨岡さんはトヨタ自動車が敗れたとき、大きなショックを受けたという。「トヨタ自動車は負けてしまったけれど、本当は力があることを証明し、トップリーグの誇りを守るためには、自分たちがやるしかないと思いました」。冨岡キャプテンの想いをチームメイトも感じて戦ってくれたという。「あの試合が一番丁寧に戦ったかもしれません」。

今は大学とトップリーグが戦うことはなくなったが、トップリーグの誇りを胸に、スタンダードを引き上げ続けた選手たちがレベルを着実に引き上げてきた。そして、最後となった2020-2021シーズンのように、コロナ禍でも試合の質を落とさず、観る者の心を揺さぶる激闘に結実したのだろう。

霜村誠一さんは、2010-2011シーズン、三洋電機ワイルドナイツ(現パナソニック ワイルドナイツ)が初めてトップリーグで優勝したときのキャプテンだ。本人は謙遜するが、怪我がなければ日本代表で長らく活躍できたであろう名CTBだった。優勝したときの気持ちは対談の中で詳しく語っているが、トニー・ブラウン、ダニエル・ヒーナン、三宅敬といった霜村さんと共に戦った選手たちがワイルドナイツのウィニングカルチャーを築き上げたという話も聞かせてくれた。

パナソニック ワイルドナイツは、三洋電機時代を含めて5度目の優勝だった。これは、東芝ブレイブルーパス、サントリーサンゴリアスと並ぶ優勝最多回数だ。この3チーム以外で優勝したのは、神戸製鋼コベルコスティーラーズのみ(2回)。昨年はコロナ禍で中止となったため、17回の優勝機会をこの4チームで分け合ったことになる。

東芝、パナソニックは三連覇を経験、サントリーは二度の連覇がある。なぜ同じチームばかり勝つのだろう。1988年から日本選手権7連覇を達成した神戸製鋼で、3年間キャプテンを務めた大西一平さんに訊いたことがある。「なぜ勝ち続けることができるのですか?」。答えは「日本一になる方法を知っているのは、日本一のチームだけだからです」だった。なるほど、勝つことの難しさを知っているからこそ、日本一になるための練習ができるし、試合中の的確な判断につながるということだろう。負けるのが当たり前の状況から脱却して、ウィニングカルチャーをどう作るか。それが一番難しいことなのかもしれない。来季の新リーグでは、新しい王者が生まれるのか、それともウィニングカルチャーを持った4チームから初代王者が生まれるのか、楽しみは尽きない。

五郎丸サイン色紙

追記◎五郎丸さんにインタビューした際、メンバーズクラブ会員の皆さんへのプレゼントとして、色紙3枚にサインをお願いしました。嬉しいことに快くサインをしてくれました。受け取ることができるのは、抽選で選ばれる3名だけですが、皆さんの応援に対する五郎丸さんの感謝の気持ちを伝えたく、ここに記しておきます。

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