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JRFUメンバーズクラブ会報誌「JAPAN ! JAPAN !」第85号

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「ハーフタイム」~村上晃一の会報誌こぼれ話~

前号に続き、85号も新型コロナウイルス感染症拡大の影響を受け、編集スタッフはステイホーム。自宅でのミーティング、オンラインや電話での取材など通常とは違う編集作業になった。今号は、表紙、巻頭のロングインタビューともに大野均選手である。5月18日に東芝ブレイブルーパスから現役引退が発表になったのだが、インタビューはその10日ほど前に行ったもので引退は想定していなかった。

メンバーズクラブ会員の皆さんも、普段通りの日常が送れずにストレスが溜まっているはず。今回は皆さんに少しでも元気になってもらおうと笑顔の表紙にしようと考えた。さて、誰の笑顔がいいだろう? ここは日本代表最多キャップ保持者の大野均選手しかないのではないか。だが、新たに撮影することができない今、これまでに撮影されたものを探すしかない。さまざまなところを探し、表紙にぴったりの写真が見つかった、というわけだ。写真家の志賀由佳さんが撮影したものだ。

インタビューは引退には触れていない。しかし、引退するかもしれないというニュアンスは感じ取れる。膝の怪我について語っているからだ。大きな怪我をしたことがないのに、膝に痛みを感じるようになったという。彼の信条である「灰になってもまだ燃える」の言葉通り、走れなくなるまで走り切ったということだ。思い出の試合などについて語っているので、ぜひご一読を。

筆者は現役時代の大野選手に何度もインタビューした。2007年、2011年、2015年のラグビーワールドカップでも試合直後の大野選手に話を聞いている。最初の2大会では勝てず、いつも悔しさを語っていた大野選手が、2015年大会では初戦に南アフリカに勝ち、笑顔でインタビュールームに現れた。「やりました」。あの笑顔を忘れることはできない。

5月22日、オンラインで行われた引退会見のコメントはすべて立派だった。もともと真面目で優しい性格なのだが、19年間の現役生活で、ラグビーによって磨かれた言葉が次々に語られたのには感銘を受けた。さまざまなメディアで内容が報じられたが、筆者が印象に残ったのは、将来、理想のコーチを問われたときの答えだ。

「サンウルブズの初代ヘッドコーチのマーク・ハメットさんです。多くの批判的な意見がある中で、常に選手をポジティブなマインドにしてくれた。そして、彼自身もラグビーを楽しんでいました。サンウルブズの最初のコーチが彼で本当に良かったと思いました」。たくさんの名将のもとでプレーしながら、そこにいる選手の気持ちを思いやり、心からラグビーを楽しんでいたマーク・ハメット氏を挙げるところが、いかにも大野選手らしかった。

大野選手は自著「ラグビーに生きる」(ベースボール・マガジン社)の中で述べている。「ラグビーは誰がいつ、どんな形で始めても、受け入れてくれるスポーツです」。大学からラグビーを始め、けっして器用ではなかった。それでも、がむしゃらに体をぶつけ、倒れても、倒れても、すぐに立ち上がって仲間を助けに走った。ラグビーの魅力を、全力プレーと、ファンに優しく接する姿勢で表現してくれた大野均選手。日本代表キャップ98は、日本ラグビー史上最多である。引退年齢は42歳。一足先に引退した日本代表の盟友トンプソン ルークは言った。「均ちゃんは42歳、僕はいま39歳。先に引退して恥ずかしいよ」。もう、選手ではなくなってしまったのだが、大野均という選手のプレーを見た人々は生涯自慢していい。彼の現役時代とともに生きられたことはラグビーを愛する者の喜びだ。今号は大野均さんに捧げたい。お疲れさま、ありがとう。

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